好きなもの
子どもの頃から、一人っ子で鍵っ子(いまもそう言うのかな)だったせいか、家にひとりでいる事が多く、
うちにあるマンガの本を繰り返し繰り返し読んでいた。
etc、、、
あまり自分から外に出て、新しく本を買ってこようとはしなかったと思う。
中学生の頃だったか、ブルースリーというものに衝撃を受け、VHSをそれこそまた繰り返し繰り返し観た。
ジャッキーチェンも然り。当然のようにリーリンチェイにも手を伸ばした。
そのまま大学から専門学校に行き、就職するわけだが、
同時に世の中ではインターネットというものがどんどん普及し、YouTubeなるものが登場する。
好きなものがいつでもいくらでも観られるようになれば、当然また繰り返し繰り返し、繰り返し観るのである。
上記のカンフーヒーロー達の映画はもちろんのこと、
ごっつのコント、
シティボーイズのコント、
サンドウィッチマンのコント、
デイリーポータルZを知ってからは
むかない安藤、
大北栄人氏の一連の独創的な笑い、
森翔太氏の動画、
森山直太朗氏の歌とおしゃべり、
などなど。
からだやこころが、元気が無くなったとき
自然とこれら好きなものに手が伸びる。
元気なときは意識の上に上ってこないが、
仕事や人間関係に疲れたとき、
気がつくと検索窓にはいつも同じようなことを入力してるのである。
正直、これでいいのか俺?と焦る。
成長してないような気がして焦る。
ふだんは自分をもっと高めたい、広げたいと思っている。
「これをするのがおれ」「これをしないのが自分」と、
枠を決めてしまうのが恐ろしく、興味を持ったことにはなるべく飛び込むようにしている。30歳を過ぎてからは特にその傾向が強くなったと思う。
昔から運動が苦手でコンプレックスとなっていたが、それを跳ね除けるべくパルクール教室に通いはじめた。それが35歳の今年の出来事だから、我ながら無謀というか、果敢というか。
服を買うとき、音楽を聴くときなど、「選択」に迫られるときはなるべく今までの自分に無いほうを選ぶ。髪を切るときも、美容師さんのセンスに完全に身を委ねて、なるべく奇抜な形にしてもらっている。
そんな風に生きてるつもりだが、なんとなく自分という輪郭はどうしても形作られる。
やはり好きなものを身の回りに置きたいし、嫌いなものは視界に入れたくない。
子どもの頃から好きなものは何年経っても好きだし、
目新しい情報を求めて、それを手にしたつもりでも、結局は好きなものの派生だったりして。根本的にまったく新しい興味というものは湧いてきてないかもしれない。
好き嫌いを選ぶのは自由なことと思っていたが、
おれは好き嫌いに縛られているんじゃないか?
養老孟司氏の「バカの壁」はそんな話だったような気がするが余り覚えていない。
だんだん年もとり、からだもこころも動きが鈍くなるような、そんな恐れ、焦り。
つまり
おれ、というものが凝り固まっていくのを
日々じんわりと恐れている。